シラフのザレゴト

溢れ出る愛が140字に収まらなくなったとき用。

まーっかになっがーれるーぼくのちーしおー

わたしは人生のモットーは?と聞かれると大抵こう答える。

「好きな人より先に死ぬ。嫌いな奴より後に死ぬ。」

本当は先の一文だけでいいんだけど、それだと「今死ぬのが1番いいじゃん!!」というトンデモ思考になるから、あとの文をひっつけた。でも本当は嫌いな奴も私より先には死んでほしくない。送るのも送られるのも嫌だから。

わたしの理想の死に方は「地球滅亡」みんな一緒に死にたい。送るのも送られるのもしなくて済むから。

わたしは未だに寝るのが怖くなるときがある。寝たらそのまま起きなくなる気がするから。朝起きたら忘れてるけど。

行ってらっしゃいの後に「気をつけてね。」というと道中で死ぬ確率が言わなかったときよりも低くなるという話をどっかのなんかで読んでから、絶対に言うようにしている。

わたしは推しが引退したり結婚したりすることよりも不慮の事故で死なないか心配している。

 

だって、強いプロレスラーでさえ事故で死んじゃうんだから。

 

 

 

彼がブログを更新した。

友人の死についてだった。

ブログを更新したことを教えてくれた友人が忠告してくれていたこともあり、一文目から察しはついた。

 

冒頭に書いた通り、わたしは、多分、人よりも死を怖がっている。

みんなわたしみたいに言わないだけかもしれないけどね。

でも、だから、わたしは人よりも死から目を背けている。

 

彼は違った。

友人の死と向かいあい、それを記した。

衝撃だった。

嫌でも残る悲しい記憶を、鮮明に残すという選択肢をとったのだから。

わたしにはありえない。

友人との過去を懐かしみ、信じていた未来が来ないことを悔やみ、今を生きる。

そして、彼が心の傷のことを血液で例えた文章を読んだ時、不謹慎にも「綺麗な文章だ」と感動を覚えた。

生きることを血で表すなんて、なんて直接的で尊い表現なんだろう。と。

 

彼は、何度も心に傷をつけて、いくつもかさぶたをつくって、分厚い皮になっているのだろう。

それでも、強く硬い皮膚になろうと、血が出る。

その傷と向かい合う彼が美しいと思った。

今までも、これからも彼は傷を向かい合うのだろう。

 

わたしはかさぶたになった先から剥がして自分で追い詰める…ということを繰り返しているし、これからもそうするだろう。

或る意味、血と向き合えていないから、その確認をしないと自分で不安になるのだ。忘れてしまうのではないか。忘れちゃいけないのに。忘れてはいけないのに。2011年、震災から1年も経っていないのに“ケセンヌマ”を漢字で書けなくなっていたあの時のように。

だから完璧にかさぶたになるのを恐れて、血を見ることはできない。

でも彼はその血をみつめて、忘れぬように、記した。

 

 

彼のような人間にはなれないと思っていた

彼のような人間になりたいとは思っていなかった

 

彼のような

 

加藤シゲアキ」のような人間になりたいと思った。